豊田章男の自宅住所は昭和区南山!トヨタ自動車の歴代社長の豪邸も発見 | aoimori

豊田章男の自宅住所は昭和区南山!トヨタ自動車の歴代社長の豪邸も発見

社長

知らない人はいない、有名自動車メーカー「トヨタ」!

その創業者である豊田章男さんの自宅は、なんと名古屋市にあることが噂になっています。

 

その総額や、歴代社長の自宅も、桁違いの様子w

じっくりとひとつずつ見ていきましょう!!

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豊田章男の自宅住所は名古屋市昭和区南山!大豪邸の写真

トヨタの現社長は、冒頭でも離したとおり、豊田章男さんです。

 

そんな社長が住んでいる自宅は、「名古屋市の昭和区南山」という場所です。

[say img=”http://omoroblog.com/wp-content/uploads/2021/07/人物アイコン.png” name=”記者”]さすが”大”が何個付くか分からないほどの大企業の社長です。

自宅の総面積は約3500坪らしいですよ。ここの自宅は時価で約40億円くらいの資産価値があるようです。

自宅の前には警備が24時間365日たっていますので、当然ながらなんにも関係ない人は入ることも覗くことも許されません。[/say]

覗くことも入る事も許されないのは、どこのご家庭も一緒なんですが(w)

 

とにかくさすが大企業の社長さん。

防犯面では頑丈なセキュリティです。

 

また、その外観もかなり豪華であることが話題になってるんです。

上から見ると、どこかのお寺と勘違いしそうなくらい大きいですし、雰囲気も「家」という感じはしませんw

玄関は、かなり重そうな鉄の門があります。

 

そして、記者の方が言っていたように、門の入り口には警備員が常駐していますね。

ポリスボックスのようなものが完備されています。

 

「こんな豪華な家もっと詳しく見たい!!」というのが普通の反応なんですが、残念ながら写真が少なく、これくらいしか見つかりませんでした。

でも、門から漂う雰囲気はまるで皇居。

 

僕はトヨタの車の機能やデザインがとにかく好きで、豊田社長のことも尊敬しています。

社長は他にも東京にも別荘を所有していて、それも何千万円とする高級車を何台も所有しています。

ちなみに、総資産はおそらく500億円以上はくだらないと思いますよ。

別荘も高級車もあってって・・・本物のお金持ちや・・・・

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トヨタ自動車の歴代社長たちの豪邸自宅も発見

そんな華麗なる一族の「豊田一家」。歴代のトヨタ社長たちの自宅もかなりの「見もの」です。圧巻!!

豊田利三郎の自宅

株式会社トヨタの初代社長です。

 

この人がいなかったら、今のトヨタはなかったといっても過言ではないくらいの人物。滋賀県出身です。

 

おそらく、大企業の社長さんだったので、自宅もかなり豪華だったかもしれません。

さすがに自宅写真などは残っていませんでした。

利三郎さんが結婚したのは大正4年。さすがに当時住んでいた自宅などは記録が残っていません。

実は今の豊田一家からは想像できませんが、利三郎さんがかなり貧しい家で生まれたそうです。

 

ですが、東京の商業高校を卒業した後は、伊藤忠商店に就職。翌年に新しく新設されたマニラ支店の初代の支店長に就任するほど優秀な人物だったそうです。

かなり懐も義理人情も厚い人で、小さいことは気にしない、困ってる人をほおっておけない。

 

社員の中で当時、染工場が実家の青年が居ました。経営破綻が続く時期だったため、そこの工場も破綻せざる得なくなった。

それを聞いた利三郎さんは、個人名義で25万円をポンとその社員に手渡したそうです。

彼はそんな人だったんです。

就職して約1年で新設店舗の初代店長になるとは・・・

 

そして、他人からもかなり信頼されていたことが分かりますよね。

ここからもうすでに、大企業「トヨタ」への道は始まっていたのかもしれません。

豊田喜一郎の自宅

初代の豊田利三郎さんが68歳という若さで亡くなった後、「トヨタ」の社長の後任を継いだのは、次男の豊田喜一郎さんです。

 

彼の自宅もまた、情報がありませんが、経営者らしい、懐が広いエピソードがこちらもありました。

[say img=”http://omoroblog.com/wp-content/uploads/2021/07/人物アイコン.png” name=”トヨタ関係者”]実は、初代社長の利三郎さんと喜一郎さんは、ことごとく性格が合わなかったそうです。

何を話し合っても衝突ばかり。

 

自動車の開発に関しては、「推進派」の喜一郎さんと、「慎重派」の利三郎さんとで、考え方が全く違っていたんですよね。

ですが、利三郎さんは経営の才能がかなりありました。

 

慎重に経営をコントロールしたことで、喜一郎さんも自動車開発に集中してのめりこむことができたんです。

彼らは、二人が揃ってこそで、利三郎さんあっての喜一郎さんで、喜一郎さんあっての利三郎さんだったんです。[/say]

すごいですよね。

今の社会人って、性格が合わないともうそのまま、関わりをやめたり、そこから上昇志向がなくなったりしますが、やっぱり偉人は違うなと思いました。

 

とんだイザコザだってバネにしてエネルギーに変えていたわけです。

「つまらないことで揉めるよりも、会社をもっとよくしていきたい」

そんな思いは二人とも同じだったのでしょう。

石田退三の自宅

次は、そんな「トヨタ」になくてはならないトヨタ自動車向けの部品を製造していた、部品製造会社「愛三工業」の社長、石田退三さんの自宅。

 

場所は「愛知県の刈谷市」にあります。

洋風のゴージャス感というよりも、まるで大奥にでてきそうな「和風豪邸」です。

石田会長はかなりのお話好きだったそうです。そして、かなりの熱弁家。

78歳には見えないほどの元気な雰囲気で、声も大きい。

 

かなりパワフルな「おじいちゃん」だったそうです。

トヨタへの愛情はすさまじく、必要な投資は惜しまない。

 

口癖は「儲け」だったそう。でも、儲けっぱなしなどではなく、その「儲け」のほとんどを、トヨタ製品に費やしたそうです。それほど「トヨタ」を愛していたんでしょう。

こうした信頼のある企業があるからこそのトヨタだったのかもしれません。

中川不器男の自宅

そして、トヨタ4代目の社長に就任したのは、中川不器男さん。

ちなみに、この方の自宅も情報は出てきませんでした。

中川さんは、1950年の労働争議のあとに、当時の帝国銀行から、専務として就任して依頼、ずっと長年、石田泰三社長を支えてきました。

トヨタの再建と反映に貢献し、この方もまた「トヨタ」をこよなく愛する人間だったんです。

 

特に1961年に、トヨタの社長に就任してからは、色々な業務で多忙すぎる毎日だったと記録があります。

なくなった1967年の10月13日も、東京での会議に出席し、名古屋に帰ってきてから、心筋梗塞を発症し亡くなったと記されています。

きっと、多忙の中からくる疲れやストレスもあったかと思いますが、なんと63歳の若さでなくなられています。

芸術家なんかはそうなんですが、かなり著名な方って、結構若くして亡くなられたりしてますよね。

豊田英二の自宅

100歳という年齢でこの世を去った、トヨタの「名誉会長」の豊田英二さん。

 

噂によると、62億円もの遺産を残したそうで、その自宅もかなりの豪邸となっています。

上空からみると、プールがあるのが分かりますが、近くで見たら相当豪華なんでしょうね。

簡単に想像が付きます。

英二さんがトヨタの社員になり、社長に就任したのは本当に一般的な流れです。

少年時代から実家ではお父さんが名古屋の織機工場を経営していて、幼いころから経営関係の環境にいたんです。

 

叔父にあたる豊田佐古さんの勧めで、英二さんは東大の「工学部機械科」という学科に所属。

そこから豊田喜一郎さんの自動車製作所の手伝いをするなど、学生時代からとんだ天才だったんです。

 

自然とその流れで、卒業後はトヨタに入社。

経験を積んで、社長に就任しました。

100歳というご長寿であり、トヨタの最高顧問として任務を全うしこの世を去った豊田英二さん。

 

1980年代から90年代にかけて、豊田英二さんと「会長と社長」という名コンビで一緒に「トヨタ」を育ててきた豊田章一郎名誉会長は、

「あなたとは叔父と甥の関係だったが、年齢差が12歳なので今日まで兄と思い接してきた。
モノづくりでも経営でも最も尊敬する存在だった。100歳の天寿を全うされたとはいえ、残念でならない」

と、別れを惜しんだようです。

 

なんだか、「戦友」のような関係だったんでしょう。

素敵な関係ですよね。

豊田章一郎の自宅

お次は6代目の名誉会長である、豊田章一郎さん。

この方の自宅もかなりのスケールです。

「当たり前のように、ご覧の通りの大豪邸。」と書きたいところなんですが・・・・

 

実はネットでは、豊田章男さんと一緒に住んでいるという情報がありますが定かではありません。

ただ、お二人を別々で調べると同じ写真が出てくるので、2世帯住宅?のようになっているのかもしれませんね!

 

ちなみに、この一区画がすべて豊田家の所有となると、土地の総面積が3500坪ほど、坪単価120万円とすると40億円を超えます。

北側の建物とテニスコートを抜いた南側の部分だけでも2400坪ほどあるので不動産価格は28億円ほど。

テニスコートを抜いた金額ですが、抜いてもすごいってどんだけなんでしょうw

やっぱりこのお宅にも、セキュリティボックスがありますね。

豊田達郎の自宅

さて、次は7代目社長の豊田達郎さんの自宅です。

優しく物柔らかそうな雰囲気が、先代の社長たちとよく似ていますよね。

トヨタ自動車の創業家は、「一族でグループを支える」という意識がとっても強いんです。

トヨタ創業者の豊田喜一郎さんの次男として生まれた豊田達郎さんもこの家風の中で生まれ育ち生きてきました。

貿易摩擦にもまれる中で病に倒れ、社長在任は約3年と短かいものでしたが、日米の自動車産業の懸け橋になろうと全力を尽くした経営者でした。

そんな豊田達郎さんの自宅はこちら。

この写真からは、セキュリティボックスなどは確認できませんでしたが、低めの柵に電線のようなものを張り巡らせています。

(電気とか走って感電するのかな・・・?)←ないと思いますが。

上空から見ると、やっぱりこちらも豪華ですよね。

2017年になくなられていますので、現在は奥様が住んでらっしゃる可能性はありますよね。

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奥田碩の自宅

続いて、8代目社長、奥田碩さん。

おそらく、「豊田家」以外でトヨタの社長に初めて就任したのが、奥田碩さんです。

入社から40年後の1995年、前社長の豊田達郎さんの経営意思を引き継ぎました。

 

過去の栄光に囚われることなく、目まぐるしく変わる市場動向への柔軟な対応を第一に、事業を拡大。

「トヨタ」を世界トップの自動車メーカーへ育て上げたんです。

そんな、「発明家」の奥田氏の自宅はこんな感じです。

こちらは2世帯住宅(になっているらしい)

門がかなり「お金持ち感」漂ってます。

塀に関しては意外と普通な感じですが、見えないところで防犯にはしっかりを気を使っているはず。

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張富士夫の自宅

さて9代目のトヨタ社長「張富士男」さん。

名前が、外国の方っぽいですが、完全に日本人の方です。

お父さんは佐賀県、お母さんは山口県の出身だそうです。

 

1960年にトヨタ自動車へ入社し、1999年には社長に就任。そして2005年には会長に就任しています。

 

先代の社長宅に比べるとちょっとコンパクトにも見えますが、門がとんでもなくデカイのはやっぱりお金持ちです。

張さんは、トヨタでは革命的なことを実施した人なんですよ。

 

従来の車種を多く廃止し、その分数え切れないほど多くの新車種を発表したんです。

今でこそ有名な「レクサス」の日本展開を途中まで準備したのも張さんです。

 

実際に展開した頃の社長は後任の渡辺捷昭さんなんですけどね。

 

そんな張氏の自宅はこちら。

分譲地に建つ、ブラウンっぽい外壁のおうちが張氏の自宅のようです。

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渡辺捷昭の自宅

最後に10代目トヨタ社長、渡辺捷昭さん。

1964年にトヨタ自動車入社し、1992年には取締役就任、常務取締役、専務取締役を歴任。

トヨタ自動車北米、欧州取締役を兼務しながら05年取締役副社長に就任しています。

渡部さんは、「明るく、楽しく、元気よく」「自然体」がモットー。

趣味は音楽鑑賞で、スポーツ観戦が大好きで、ゴルフもよくします。

家族は妻、3女の父でもあるんですが、ご自身のモットーの通りかなり元気でパワフルな方です。

 

そんな10代目社長の自宅はこんな感じです。

上空から見ると、ちょっと普通な住宅街なんですが、間近の写真を見ると、高級マンションの入り口と間違えそうですw

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まとめ

こうして見てみると、自宅もそれぞれ凄いことはもちろんなんですが、それぞれのエピソードが、やっぱり皆さん懐が広いというか。

「トヨタ愛」がどの社長も強いんですよね。

 

中途半端な気持ちで経営をしていないというか(うまい言葉が見つからない)

「世界のトヨタ」が育ったのも、先代から積み上げていった栄光と自身、技術や意思がしっかりと後世に継がれているからだと思います。

 

ほんと素晴らしい会社ですよね。

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