女優としても活躍し、唐沢寿明さんの妻としても知られている山口智子さん。
過去にテレビ番組で旦那の唐沢寿明さんが、山口智子さんのことを「あの子は人間として完成しているから生きているだけでお金になる」とおっしゃっていました。
旦那さんからしても山口智子さんは素敵な奥様なのでしょうね。
そんな山口智子さんですが、実は壮絶な生い立ちや家族との確執があったのだとか…。
また、山口智子さんの実家は旅館を経営していたという噂もありますので調査してみました。
山口智子の実家は栃木県栃木市!廃業したホテル鯉保だった
山口智子さんの実家住所を調べてみた結果、栃木県栃木市だということがわかりました。
栃木県栃木市の所在地はこちらです。
山口智子さんの実家について詳しく調べてみたところ、鯉保(こいやす)という旅館を経営されていたようです。
鯉保は創業120年以上の古くからある旅館でしたが2005年に廃業してしまっています。
鯉保の跡地には現在、ファミリーマートが建っているのだとか。
山口智子さんの実家で鯉保があった栃木県栃木市は、栃木県の南部にある人口約15万人の市で宇都宮市、小山市に次いで3番目に人口が多い市です。
市街地に行くと、蔵づくりの家屋が建ち並ぶ街並みがあり、観光地としても非常に人気が高い場所なんです。
また、市の南部にはラムサール条約登録湿地に指定されている渡良瀬遊水地があります。
なので、時期によっては鯉保に宿泊した観光客は多かったのではないかと思います。
ですが、鯉保は総額8億8000万円の債権を抱えており、廃業せざるをえなかったようです。
内装も古くなっていたようですが、負債を抱えてる状態ではリフォームするのも難しかったのでしょうね。
ちなみに山口智子さんの出身小学校は栃木市立栃木第一小学校で、中学は栃木市立栃木西中学校出身です。
栃木市立栃木第一小学校は2010年に栃木第二小学校と統合して現在は、栃木市立栃木中央小学校となっています。
山口智子さんの出身校の所在地は以下です。
栃木中央小学校
栃木市立栃木西中学校
山口智子さんは地元の学校に通っていたということになりますね。
山口智子の壮絶な生い立ち!両親の離婚、絶縁、父の他界…
山口智子さんはとっても美人ですし、実家が旅館だったとのことなのできっと幸せな幼少期を過ごしたのではないかと思う方も多いはず。
ですが山口智子さんの生い立ちは決して幸せとは言いがたいものだったようです。
山口智子さんが子供を作らなかったのは自身の幼少期のトラウマが原因なのだとか。
一体山口智子さんの幼少期に何があったのでしょうか。
そこでこの記事では山口智子さんの壮絶な生い立ちを時系列でまとめてみました。
両親の離婚
山口智子さんは1964年10月20日に栃木県栃木市で生まれました。
山口智子さんの両親は、江戸時代から続く老舗旅館『鯉保』を経営しており、毎日仕事で忙しい日々を送っていたそうです。
そのため山口智子さんは両親と過ごせる時間が少なく、幼少期の遊び相手は祖母だったとのこと。
家族構成は祖母と両親、3歳下の妹と5人暮らしだったようです。
山口智子さんが小学1年生(6)の頃、父親の女性問題がきっかけで両親が離婚したのだとか。
母親と妹との絶縁
両親の離婚後、母親は3歳下の妹と山口智子さんを連れて出たそうですが、山口智子さんは実母の元を飛び出してしまったのだそうです。
普段から遊び相手をしてくれていた祖母のことが恋しくなったのでしょうね。
最終的には3歳下の妹は母親に引き取られましたが、山口智子さんは父親に引き取られ、祖母に育てられています。
このときから祖母のことを「お母さん」と呼ぶようになったのだとか。
そして母親と妹とは絶縁関係になったのだそうです。
当時の山口智子さんはまだ小学生だったようなので、母親や妹と会えない生活はかなり寂しかったでしょうね。
NHK連続テレビドラマのヒロインに抜擢
祖母に育てられた山口智子さんですが、幼少期から鯉保を継ぐようにと言われていたのだそうです。
学生時代はいつも週末に旅館の仕事を手伝い、大学に進学する必要はないという考えから受験することを許してもらえなかったのだとか。
そして、山口智子さんは20歳の時に祖母の養子となっています。
ですが、山口智子さんはどうしても旅館を継ぐのが嫌で、東京の青山学院女子短期大学に進学し、モデル業を始めています。
青山学院女子短期大学へは受験せずに入学できる推薦入学という方法で入学したようです。
短大の2年間で自由を手にした山口智子さんは色々なオーディションを受け続けています。
そして、山口智子さんが23歳だった頃、たまたま事務所に募集が来ていたNHKの連続テレビドラマのヒロイン役のオーディションを受け、見事抜擢されています。
それが、『純ちゃんの応援歌』の小野純子 役です。
山口智子さんにとってまさに転機と言えますね。
唐沢寿明さんと結婚
山口智子さんは1995年に唐沢寿明さんとめでたくゴールインしています。
お2人の出会いは、山口智子さんがヒロインに抜擢されたNHK連続テレビドラマ『純ちゃんの応援歌』での共演でした。
山口智子さんはこの作品が初主演だったため、仕事の悩みを唐沢寿明さんに相談していたのだとか。
結婚会見のときには山口智子さんは「世界で1番幸せです。仕事への姿勢を尊敬しています」とコメントしていました。
『純ちゃんの応援歌』がきっかけでどん底から幸せにのぼりつめたといった感じですね。
山口智子さんが結婚し、ほどなくして父親も再婚をしたのだとか。
そのため、父親の再婚相手が鯉保の女将となり、山口智子さんが継ぐ必要はなくなったのだそうです。
父親の他界
唐沢寿明さんと結婚し幸せを手に入れた山口智子さんですが、2005年には突然父親が他界しています。
父親の他界がきっかけで江戸時代から120年以上続いた老舗旅館『鯉保』は廃業に。
母、妹との再会
父親が他界したことで、山口智子さんは絶縁関係だった妹と再会しています。
というのも父親が亡くなったと知った実母が妹に線香をあげさせて欲しいと祖母に電話をかけたからなのだとか。
そして山口智子さんは妹、母親と和解できたのです。
まとめ
- 山口智子さんの実家は栃木県栃木市で老舗旅館『鯉保』を経営していた
- 出身小学校は栃木市立栃木第一小学校
- 出身中学校は栃木市立栃木西中学校出身
- 両親は小学生の頃に離婚している
- 鯉保を継ぐのが嫌で芸能界での仕事をスタート
- NHK連続テレビドラマ『純ちゃんの応援歌』でヒロインに抜擢し唐沢寿明さんと出会う
- 2005年に父親が他界し、鯉保は廃業
- 父親の死をきっかけに妹と母親と再会する
山口智子さんの生い立ちが複雑だったということがわかりました。
幼少期から旅館を継ぐようにと言われ、週末は仕事を手伝っていたとのこと。
なかなか自由がない中で、芸能界に入りヒロインに抜擢され最愛の人に出会い…。
山口智子さんの人生は波瀾万丈といえますね。
父親が他界したことはかなりショックだと思いますが、絶縁関係だった妹や母親と和解できたことは嬉しかったでしょうね。
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